退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

電話あれこれ3止め

 前の大阪万博が開かれた1970年(昭和45年)の前年だったか、外勤記者にポケットベル(略称、ポケベル。正式には無線呼び出し機)という新鋭機が普及しました。


               (写真は、Google画像検索から引用)


 着信専用で、発信はできない。一方向の無線呼び出しサービス。「ピーピー」」と鳴りだして、ポケベル所有者を呼び出しますが、所有者から返答はできません。鳴り出すと、こちらは大急ぎで公衆電話ボックスを探したり、商店の電話機を借りに走りました。返事をするため、です。


 事件事故の連絡はもとより、「あっち行って、誰それを取材してくれ」、「こっちのも、ついでに様子みてくれ」。本社の先輩記者は、ポケベルの電話番号を回すだけで、外に出ている記者に連絡できるものですから、必要な時以外でも、面白がって呼び出します。外勤記者は、とにかく公衆電話を探して,用件を尋ねなければなりませんので、右往左往させられました。


 持たされたポケベルは、ワイシャツの胸ポケットに幅がちょうど収まり、丈は、かなりはみ出る長方形のものでした。どこにいても、動いていても、別の取材をしていても、連絡がつきますので、当時は画期的な道具でした。記者のほか、外勤職業の人たちも使うようになりました。


 しかし、それでコマのように動かされる方は、たまったものではありません。,食事中でも、トイレにいても、電話機探しとあって、神経が休まる間がありません。そのうち地下鉄とかビルの地下などでは電波が届かないことを知り、「ピ―ピ―」鳴っても、応答するのをサボりましたね。あとで、あとで詰問されても、地下鉄に乗っていたとか、充電を忘れていたなどと言い訳したものです。


 ポケベルは、しだいにおもちゃのように小型化、廉価版になり、十数文字なら送受信できるようになってから、中高校生のペットとなりました。彼らは電報文のような、あるいは、仲間うちだけに通じる暗号文?を交わしてやり取りするのに夢中になっていました。


 1991年(平成3年)、広島支局にいたとき、アジア大会を迎えて工事ラッシュのさなか、架設中の高速道路の橋ケタが落下、十数台の車が下敷きになり死傷者が多数出た事故がありました。


 現場取材用に当時としては珍しい「携帯電話」を確かNTTからレンタルしました。米軍のベトナム戦争映画のシーンでは、この形のものが使われていたようです。太平洋戦争の映画に使われるものよりは進化しています。


 送受話器が大きく、重量があり、肩で担がなけれならない代物でしたね 現場を駆け回る記者から不評でした。この電話機は、車載用電話機を車から取り外して、使えるようにしたものらしく、重さ3キロ近く、バッテリーも小一時間しか持たない割に、レンタル料が非常に高かった覚えがあります。


        (写真はGoogle画像検索から引用。こんな感じのショルダーホンでした)


 この「取り外しOK、動いていても(モバイル)通話OK」という電話のかたちが、携帯電話機の誕生に向けて走りだしたようです。ポケベルはすぐ見放され、やがて二つ折りの携帯電話、いまでは「ガラケー」と呼ばれている小型化、軽量化、性能アップのケータイになりました。


 数年後には、通話の送受信だけでなく、文言を送れるメールサービス、インターネット接続、さらにスチル写真(静止画)、そして動画まで送受信できるまで急速に発展したのは、御承知の通りです。


 事務用、医療用、教育用などのほかゲームやエンタメのアプリが日々新登場しています。映画を何本も収容できる大容量のデジタル化が進み、スマホは、いまや「電話・カメラつきスーパー小型パソコン」となっています。


 ぼくらの入社したころは、記者でもカメラを月賦で買わされました。写真部の暗室研修でカメラ操作から現像、焼き付けまでの作業を教えられました。地方支局に赴任し、取材から帰ると、原稿を書く前に暗室にこもり、写真を何枚も現像しました。ときには失敗し、デスクに怒られたものです。


 急ぐときは、まだ濡れている写真をタオルでふいて、写真電送機のドラムにに巻きつけて、本社連絡部と電気回路の同期を図り、スタートさせました。グルグル回る写真が無事届きますようにと毎回祈ったものです。こうした厄介な作業して送った自分が撮影した写真が記事とともに紙面に大きく扱われると、うれしくて記者稼業にのめりこんだものです。


 そんな昔の面倒な作業を、スマホは瞬時にこなしてくれます。時代の移り変わりというのは、ある意味、残酷なものです。無線技士の資格や写真現像や一眼レフカメラの撮影方法の技術は、かつての新聞社の屋上で飼われた伝書鳩たちのようにイノベーション(技術革新)に追い立てられました。


 アナログからデジタルへ、情報通信の変遷を身を持って体験しました。イノベーションは経済全般と効率化を進めますが、その効率化を本当に生かしているか、どうか、そこが進歩していないように思えます。ぼくが現役のころは、ニュース取材は、「足で稼げ」と言われ、せっせと歩き回って人と人とのつながりのなかから発掘しました。


 本来「足で稼げ」が記者取材の王道なのに、いまはどうやら便利なスマホとパソコンによる「空中戦で稼ぐ」取材になっているようです。じかに対面することなく、いい人間関係が築けるわけがない、いい話が取れるわけがないと思いますね。


 新聞の役目は「報道の自由」という権利を目いっぱい生かして、政治や社会の不正、不公平を注意喚起したり、権力者の言動を監視するニュースを発信することです。


 せっかくの情報通信の優れたツールを手にしながら、そうした活動に肉迫したニュースが、少ないのは残念なことです。昔もないではなかったですが、いまほど新聞が、権力や金力のまえに屈服しているのは残念至極ですね。世の中、貧富の格差を一例にあげても、どんどん悪化しているのに、見るからに甘い汁を吸っている巨悪が横行しているというのに、、、、。


 このままでは、新聞産業は、読者の期待にこたえないまま、TVやスマホの後塵を浴びて斜陽の坂道を下る一方でしょうね。


 元新聞記者の、老いの繰り言になってしまいました。

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