退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

キーウィ&ミミズその1

 ウクライナの首都、キエフを突然、現地読みにすると外務省が言い出し、一斉にマスコミもキーウと呼称し出しました。キーウの文字を見るたびに、ぼくは幻の鳥、キーウィとその主食、ミミズのことを想起します。


 まず、キーウィのことですが、フルーツのことではありません。フルーツの方は元は中国原産のラズベリーの一種ですが、ニュージーランドに移入されてから土地柄と相性が良かったのか、ニュージーランドはキウィの大生産国になりました。


 その姿が、ニュージーランド固有で世界的な珍鳥、キーウイとよく似ているので、「キウイ」と名づけられました。珍鳥の名が先で、フルーツの名は後なんです。


   (天王寺動物園に最初にきたキーウィのニュージ―ちゃん。動物園季刊誌「なきごえ」から引用)



  (写真はGoogle画像検索から引用)


 さて、1970年(昭和45年)ごろ、ぼくは社会部記者で大阪市内の警察担当のほか、天王寺動物園も担当していました。大阪万博の開催まえにニュージーランド政府から万博参加の記念にキーウィの「つがい」が贈られてきたのです。


 絶滅危惧種にひとしい門外不出のキーウィが海外に出るのは、アジアでは初めてのことでした。いまもアジアではシンガポールの動物園にしかいないはずです。


 キーウィは、森林のなかに棲み、成鳥ならニワトリくらいの大きさです。無翼鳥なのでダチョウと同じように飛べない。夜行性で昼間は寝ています。主食はミミズ。卵はメスの体重の4分の1に相当する大きなものです。体重50㌔の女性なら12・5㌔の子どもを産むようなもので、大変、珍しい。


 当時は、まだキーウィの生態ははっきり分かておらず、贈られた天王寺動物園は喜んだものの、飼育の仕方がよくわからず、困惑していました。とりあえず空き家になっていたワニの部屋に樹木や小さな水たまりを作り、夜の森の状態を再現、当時では高価だった温度調節器を備えて、受け入れました。


 万博視察のため来阪した生物好きな昭和天皇は、宿泊先のホテルに運ばれたキーウィを観察しました。帰京後10日くらいして宮内庁から「キーウィは、元気でいるかと陛下が案じている」と問い合わせがありました。動物園側は、”天覧の鳥”だし、万が一のことがあると、ニュージーランドとの国際関係にも響くので、緊張していました。


 (実は、オスはニュージ―ちゃん、メスはランドちゃんと市民公募で愛称がつけられましたが、ランドちゃんは肺炎で来日2カ月後に死んでいたのです。園側は隠し続けていました。ぼくも取材しきれなかったのが残念な記憶です。)


 夜行性で昼は寝ているため,展示場所はいつも暗い。窓越しに目を凝らして眺めても姿が見えないのです。こんな状態が一羽死亡の事実をひた隠しにできたのでしょう。そんなことを知らず、これでは動物園として「見えなければ展示するに意味がない」という記事を書いたことがあります。この問題は、ずっと後に「夜行性動物園舎」が完成するまで、続きました。


 余談ですが、当時の園長さんに問いかけたこととがあります。
「どんな動物が欲しいですか」
「そうやなあ、色分けクマが欲しいね」
 園長さんは即答しました。ずっと念頭にあったのでしょう。


 「色分けクマ」とはとどんなものか、ぼくもわかりません。あとで、事典でしらべてみて、黒い手足、目元も黒いが、全体は白毛でおおわれた中国産のクマと知ったくらい。その二年後、日中国交回復の記念に東京・上野動物園に色分けクマこと「ジャイアント・パンダ」がやってきて、「カンカン。ランラン」と一大センセーションを巻き起こしたのは、よく知られていますね。


 あのとき、園長の希望を受けて、「天王寺動物園に色分けクマを、、」とキャンペーンを張っていたら、ひょっとしたら叶えられていたかもしれません。これも残念な記憶です。何とかの後知恵です。


 ところで、キーウィの話です。死んだランドちゃんについて、園側がニュージ―ランド政府に丁重な解剖所見をつけてお詫びした誠意にこたえてくれたのか、代わりのメスを贈ってくれました。ニュージーランドと動物園の交流は長続きして、現在まで合計で七羽のキーウィをニュージーランド政府は贈ってくれています。


 ただ、園側の懸命な努力にもかかわらず、繁殖に成功していません。半世紀にわたる飼育歴なのに種の継承・保存が人工的にできない現実がある以上、いまいる二羽のキーウィが天寿を全うしたら、もう飼育をやめるべきだと思います。


 貴重な野生動物の飼育や見物することが教育的効果がある点は認めますけれど、率直に言えば、それは人間のエゴですね。キーウィには、なんのメリットもありません。動物の身になって考えることは、欠かせない視点です。天王寺動物園では、いまいない象やコアラの補充を見合わせているようですが、おそらく、動物園の存在意義について、深く考えられているのでしょう。


 夜更けに目覚めると、夜行性園舎で孤独に過ごすキーウィのことを思います。南十字星が輝くニュージーランドの古里の森をしのぶことがあるのかな。


 あの当時の大阪市長も、動物園の園長も、昭和天皇も、キーウィ係だった女性飼育員もみんな冥界の人となっています。長く生きるということは、こういう記憶をたどれるひとときを持つということかな。


 次回は、キーウィの主食、ミミズの記憶をたどりたいですね。当時でも、街中にミミズなんか捕れなかった。なにしろ一羽のキーウィが一日400グラムものミミズを食べるのですから、それはそれは大騒動でしたね。

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