退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

カッコウ&ホトトギス

 山歩きに夢中になっていたころ、初夏にカッコウの鳴き声を楽しみにしていました。


 明るい青い空、さわやかな大気のなか、緑の尾根,ゆるやかな起伏のある稜線をはるか彼方にまでカッコウの鳴き声が響いていました。いったん鳴きだすと、カッコウ、カッコウと数回で止むこともありますが、数えていたら、のびのびと27回も繰り返したことがありました。


 こちらも、山道に足をとめて、聞きほれます。心地よい、実に穏やかな平和な気分になります。カッコウは尾根筋の高い枯れ木の先端に止まります。毎年、そうです。行きつけの山だった金剛山(1125m、大阪府と奈良県境にあります)に、ぼくは、660回登りました。ざっと25年間に間に。ですから、この山では、カッコウが初鳴きするのは、毎年5月17日であることを体験していました。


 中高年になって仕事は内勤職場だったので、都合をつけて5月17日は山に登っていました。どうしても都合がつかない年は、山頂にある公園管理事務所の記録を頼りに確認してました。係員が初鳴きを記録ていたのです


 金剛山に来るカッコウ、ホトトギス、ジュウイチ、ツツドリの四種類は、すべてカッコウの仲間たちです。みんな胸にシマ模様があり、托卵する習性が知られています。初夏の金剛山では、一日の山行で少なくとも三種類の鳥の鳴き声を聴くことができました。ジュゥイチは、名前の通りに鳴き、ツツドリはポンポン、ポンと筒を叩くように鳴きます。


 (托卵、カッコウ類は、卵を他の鳥の巣に生みます。先に孵化したカッコウのヒナは本来の巣の卵やヒナを巣から落として、仮親の愛情と給餌を”一人占め”にして育ちます。)


 彼らは、東南アジアから、海を越え、島々を伝って日本にやってきて、毎年同じところに止まりに来ます。珍しく夜間も飛ぶホトトギスは、明け方の暗闇のなか、自宅の上空を鳴きながら飛んでいきます。キョッキョ、キョと独特の甲高い鳴き方です。「聞きなし」では、「東京都特許許可局」とか「天辺駆け高」と聞こえることで知られています。


 それが、ここ数年の五月、ホトトギスの夜間飛行での鳴き声が絶えています。連れ合いも、聞いていないといいます。例年、習慣になっている飛来の行き先が変わったのか、それとも繁殖地として不適切になったのか。環境破壊や地球温暖化の影響をうけているのではないか、と心配します。


 評判の気鋭の経済哲学者、斎藤幸平さんはベストセラー『人新世の”資本論”』(集英社新書)で、国際社会でいま程度の省エネやSDGs(2030年までに環境、差別、人権問など17項目の問題を解決しようという国連の約束。持続可能な開発目標)協力では、、グローバルで巨大な資本主義経済活動を抑えられない。したがって地球温暖化は止められないから、人類の滅亡は避けられないと言っています。


 金儲け第一、経済成長最優先の資本主義社会が、先進国と途上国の格差を生み、そして先進国も途上国も、その国内で、ごく一部の富裕層と大多数の貧困層が生まれ、公正公平な社会が構築できていません。この構造が続くと、限りない資源の浪費、食いつぶしとともに人類を破滅させる地球温暖化を止められない。


 ここまでは議論は、すでに多く有識者が指摘、主張しているのですが、斎藤さんは、この危機を回避するべくマルクスの『資本論』から、、、、誤った運用をした旧ソ連や中国のようなコミュニズムではない、、、、共産社会に活路があるのではないか、エネルギーなどのインフラや医療、教育まで共有管理する仕組み、一種の計画的経済社会、協同組合的な経済社会に進むことが、人類をすくうのではないか。


 ぼくには、そう解釈できるような内容の著作であります。こんな本がベストセラーになることこそ、世間は資本主義に行き詰まりを危惧している人たちが多いことを示唆しています。とにかく、いまどきの政治家に爪のアカでも煎じて飲ませてやりたいような、危機感を持って警鐘を鳴らしています。


 「炭鉱のカナリア」は有名です。炭鉱の地中でガスが発生すると、真っ先に籠の中のカナリアがさえずりをやめ、倒れます。それを見て、炭鉱夫たちは、我れ先に逃げる仕組みです。


 鳥や虫や動植物の微妙な変化は、人類にとって自然が与えてくれる羅針盤です。地球温暖化が止められないとすれば、人類はどこへ逃げられるのでしょう。

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