退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

二番煎じの男

 先の「国葬もどき」で読んだ通称スカタンの弔辞に「感動した」という声が政界で話題になっているそうです。アキエも涙したとのことです。


 しかし、ネット上では、あの弔辞は、オリジナルなものでなく、アへ自身が別人の葬儀で使った弔辞の「二番煎じ」であることが、すぐに立証されています。


 二番煎じのどこが悪いかと本人が開き直れば、呆れるほかはありませんが、彼らにとって、”神聖な”はずの国葬に平気で二番煎じを使う神経が、わかりませんね。


 二番煎じというのが、いかにもスカタンの政治的な立ち位置に似ていて、興味深いです。二番煎じで、さらに男を下げたとぼくは思っているのですが、これを機に復権の動きがあるらしいのは、憂うべき話です。



(礼をしても、目は上目遣い)


 スカタンという人物は、田中角栄の娘、タナカマキコによると、「暗い男、安倍家の生ゴミのバケツのフタみたいな」男と酷評しています。スカタンが総裁選に出馬したときのマキコの弁です。ユニークな例えのおかしさに驚倒されますね。


 首相に選ばれるや、「豪雪の秋田の田舎から集団就職で上京、夜間大学で苦学した苦労人」と持ち上げられましたが、あとで大ウソと判明。実父はイチゴ農家の成功者、母は高校の先生。二人の姉も大学卒で高校教師。弟は慶大出身です。


 なぜ、スカタンが苦労したのか、簡単です。大学受験に落ちて、行き場がなかったので、上京したまでです。どこが苦労人ですか。お金持ちのデキのワルいボンにすぎないのに、ウソで固めた成功モノガタリにしています。


さて、話題の弔辞の件。明るみになった事柄を時系列で並べると、


アへが、2015年1月12日 付けでFACEBOOKに投稿しています。




 アへ自身が読了したと書いてあるのは、7年半まえのことです。


 そして、今年の6月17日、アへはFACEBOOKに、以下のことを投稿しています。



 ぼやけて読みにくいかもしれませんので、再録します。


 「一昨日故葛西敬之JR東海名誉会長の葬儀が執り行われました。
常に国家の行く末を案じておられた葛西さん。国士という言葉が最も相応しい方でした。
失意の時も支えて頂きました。葛西さんが最も評価する明治の元勲は山縣有朋。好敵手伊藤博文の死に際して彼は次の歌を残しています。


「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ」
葛西さんのご高見に接することができないと思うと本当に寂しい思いです」



 この投稿の三週間後、今年の7月8日、 アへは銃弾で倒れました。


 9月27日 葬儀でスカタンが友人代表で読んだ弔辞のカナメは、山県有朋のエピソードでした。異例の拍手を浴びたという例の歌もちゃんちゃんと引用しています。


 スカタン本人、葬儀の後のTVインタビューに上機嫌で語っています。


 「(岸田から)提案があったので、『大変だ』と思って一生懸命、資料集めから。一気にではなくまず全体像を入れていくというか、『何をして、何をして』という構想からした。それと、私自身が今まで発言したものを集めていき⋯、、⋯」


 そんな大変な話ではないはずです。アへの弔辞も、スカタンの弔辞も、おそらく同じゴーストライターが書いたものと思われます。ですから、アへの再出馬について三時間、銀座の焼き鳥屋で話し合ったという場面も作り話でしょう。スカタンはケーキ好きの下戸、アへも呑まないタチです。


 思うに、全国放送されることが自明である葬儀です。ああいう場の弔辞の文面は直ちに出典が検証されます。すぐに「使いまわし」だとバレることを承知で読み上げ、その作成苦労話をする、ふてぶてしいセンスには、恐れ入ります。


 この一件、政治家というのは、ウソを平気で言えることが、大成するかどうかの要件であることが、ツクヅク納得できる猿芝居でした。こんな二番煎じの人物が、再登板するようでは、この国はおしまいです。


 こっちの猿芝居の1億5000万円はどうなったのかな。




 写真はGoogle画像検索から引用しました。


アへの投稿文面は、FACEBOOKから引用しました。

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