退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

茶番の独白劇

 いまは、流行りませんが、結婚式には、仲人口というのがありました。


 美辞麗句、虚実取り混ぜて、新郎新婦を持ち上げるのが決まりでした。新郎は必ず「将来が嘱望される青年」で、新婦は「容姿端麗で、先は良妻賢母」になることになっていました。


 むかし、後輩の結婚式に祝辞を述べた先輩は、「祝辞を依頼されてから、ずっと考えていましたが、新郎〇〇君は、なんにも仕事をしていないので、褒めるところがない」とあいさつを打ち切ったので、披露宴は凍り付きました。


 また別の結婚式で、ある先輩は、お祝いにと言って『星影のワルツ』を歌って、あまりの場違いに会場は、しーんとしたあと、大笑いになったと言います。長く職場の語り草になりました。


 元首相で立憲最高顧問のノダ・ヨシヒコが、国会でアへの追悼演説を行いました。


 ぼくは、なんら褒めるところがないアへを、どう持ち上げるのかと興味を持っていました。結論から申せば、アホらしやの鐘が鳴る茶番でしたね。名演説だ、感動した、という人の感性を疑いますが、何かほかに思惑があって、言っているのかもしれません。


 ノダ自身が元首相であることの誇りからか、自己陶酔のきつい演説でした。いわば自慢話ですから、公開で語る筋合いのものではありせん。首相交代のとき皇居での親任式で、アへの優しい気遣いを披露して、感激したといってましたが、敗軍の将が、勝者からいたわられて感激するとは!、子どもじみた感傷にすぎない。スポーツじゃあるまい。政治の世界ですよ。


 議員になったのが、同期で、あなたは、輝いていて、まぶしかった


 政治家一族で、なんの努力もせず、棚から牡丹餅の世襲議員がなんで、そんなにまぶしいのか。そんな感性こそ、卑屈の極みです。


安倍さん。あなたは、いつの時も、手強い論敵でした。いや、私にとっては、仇のような政敵でした』


 なんという劇画調。アへは官僚の作文を読むだけで、いつもヘラヘラして、ウソを平気でつき、質問者をヤジり、冷笑する不誠実な人物というのが、おおかたの印象ではないか。


最も鮮烈な印象を残すのは、平成二十四年十一月十四日の党首討論でした。私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません


 当時、この場面、ぼくもTV中継でみました。現職首相の最高の宝刀、国会解散権を日時まで提示して、約束を迫るノダに大変な違和感を覚えたものです。その結果、選挙で大敗。民主党政権を明け渡した張本人じゃないですか。案の定、その時の約束である「議員定数の削減と歳費の削減」は、いまもって実現していないじゃーあーりませんか。


 この件は、ノダの致命的な失態です その後、合計8年8カ月もの長いアへ政権の居座りを許し、国力の低下に加担してしまった責任をどう思っているかな。アへにコトあるごとに「悪夢のような民主党時代」とののしられていたことを忘れたのか。


 ノダは、仲人口そのもので、アへを称賛して、モリカケサクラ統一教会どころか、政党の立場を峻別する「改憲や安保法制推進」にも一言も触れなかった。なんという弱腰なのか。


 キシダメから追悼演説者の依頼があったのは、ノダのこういう姿勢を見抜いていたからではないかと笑っちゃいますね。ノダのアへ讃歌のいちばんの欠陥は、相手が長期政権を担った首相なのに、政治家として、国民の暮らしや幸せに関わる業績をどれほど上げたか、という肝心なことを無視したことです。


 仮に故人が野球選手であれば、現役のとき、どれほどの成績を残したか、を触れない追悼演説なんかあり得ないでしょう。政治家なら、国民のために尽くした善政を(善政が一つでもあれば)称賛するのが当然です。称賛に値する実績が何もなかったのなら、それをほのめかすくらいの知恵を見せてほしかった。対立する政党の最高顧問なんでしょう。


 自公のひどさは言うまでもないありませんが、こんな馴れ合いの田舎芝居をする人物が最高顧問で、前代表のエダノも演説をほめたたえ、現代表のイズミに至っては、吹き溜まり集団の維新と手を組むなんて。一体全体、立憲は政権奪取の意欲があるとは思えない。頼りなくて、関西弁でいえば、"涙がチョチョ切れ"ます。

×

非ログインユーザーとして返信する