退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

スポーツウォッシング

 W杯サッカー日本チームは盛会裡に散りました。全国の、にわかファンを含めた乱痴気騒ぎが、ようやく静まりました。


 ぼくは、あまりサッカーに興味がないので、連日、新聞やTVを埋める熱狂報道を苦々しく思っていたクチです。あれだけ紙面とニュース時間を占めると、その間、世の中で起きている様々な事柄の報道が小さくなったり、黙殺されてたりしたことでしょう。


 こういうスポーツの耳目を集める熱狂的特性は、近年では、スポーツウォッシング(sports-washing)と言われています。スポーツに対する一点集中型の熱狂に酔うと、その他の大切な問題への注意がそらされます、という意味です。


 カタールで言えば、人種差別や性的少数者への偏向といった、この国の問題がそらされています。事実、サッカー熱の沸騰で、この種の報道は消えてしまったみたいです。


 もともとスポーツウォッシングは、ホワイトウォッシング(white-washinng)から派生したものらしい。ホワイトウォッシングは、黒壁を白く塗りつぶすように、様々な不都合な犯罪やスキャンダルを問題がなかったように「隠す」意味に使われています。ご存じのようにアへ政権は、まさにホワイトウォッシングの塊でした。


 スポーツイベントは、事前に会場や会期が公表されていますいますから、一斉に熱狂が高まる時期は予測されます。国民の大きな関心が、そっちに向いている間に、政権当事者は国民に知られると不都合な問題をがひそかに進めることが行われています。むろん、行うのは、権力者と、その下僚たちです。昔ふうにいうと、敵は本能寺にあり作戦、または,陽動作戦であります。


 キシダメ政権は、専守防衛の自衛方針を大転換を図る自公合意をサッカー熱の最中に行いました。新聞報道では、サッカーが一面トップ、憲法に触れる戦後体制の大転換方針は二番手でした。予算化もされていない前段階で、一基3億円の巡航ミサイル、トマホーク500基をアメリカから購入などという話が進行しています。さらに国民の関心事である統一教会についての国会質疑も、この最中でした。


 これらは、日の目を見ているだけ、まだマトモですが、ひょっとしたら、もっと違った問題をひそかに進めていたかもわかりません。わかったときは、手遅れかもしれません。わかった、あるいは、バレたときは既成事実として知らんぷりです。


 むかし、警察取材などをしているころ、どうでもいいような記者会見を招集して、記者たちを引きつけてる間に大きな事件の重要人物をひそかに事情聴取していたことが多々ありました。これは悪意があるわけでありませんが、捜査上の知恵です。重要人物なら警察に呼ばず、自宅とか、いわゆる某所に呼ぶのも、その手口です。


 権力者のスポーツウォシングは、明らかに作為的な隠ぺい工作ですから,要注意です。個人が個人的に何事かに熱中するのは、無難ですが、集団が一つの方向へ向かって熱狂するのは、たいへん危険です。


 ローマ時代からの伝わる政治の要諦を現す言葉に「パンとサーカス(見世物)」というのがあります。国民は食わせ、いろいろな競技や見世物に熱を入れさせておけば、政治や社会にあり方などややこしい問題に目が向かず、うまくゆくという愚民政策です。


 この手のことは、いまも脈々と続いているようです。もちろん、プレイヤーに罪はなく、為政者の欺瞞に罪があるわけですから、今回のサッカー選手にはなんの問題もありません、念のため。


 国別対抗のスポーツで、こうですから、敵が攻めてきそうだからと、戦争を起こして、愛国心と正義感を煽れば、アッという間に熱狂に火がつくことでしょう。いつか来た道です。


 ぼくが案ずるのは、こうした流れになると、手のひら返しに、にわか愛国者になる人間が過去いっぱいおり、いまも、そうならない確証がないことです。時流に迎合して、我先に利権や地位争いに平伏する連中が雪崩が起きるように現れます。


 そうした過去を繰り返さないために、有権者ができることは、戦争準備を進める自公政権をもう支持しないことです。

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