退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

メダカはどこへ行った

 先日の朝、庭の縁先で飼っているメダカが、全部姿を消していました。


 もらい物の常滑焼の大きな壺(  統一教会のものではありません  )に40匹近くが、前日まで元気に泳いでいたのです。


 いつもエサをやる連れ合いの驚く声で、壺を見に行くと、一匹もいません。水草のホテイアオイは、いつもと変わりません。あまり予期しないで出来事に遭うと、とんでもないことまで想像します。メダカに羽が生えて、どっかに飛んで行ったのだろうか、それとも暑かったので、溶けてしまったのだろうか。


 壺の水をさらって,底まできれいにしましたが、一匹のメダカも、その亡き骸もみつかりませんでした。底水にボウフラが二匹、くねくね泳いでいます。まさか、まさか、ボウフラがメダカを食べてしまう、ということがあるだろうか、いや、あるわけがない。むしろ、メダカのエサになってしまうはずです。


 あれから数日、消えたメダカのなぞ解きに首をかしげています。連れ合いは、ネコにやられたかもしれないという。ネコが好きでないので、庭に侵入していると、大声で追い出しています。ネコの方も分かっていて、あまり侵入しません。だいたい、ネコが、あんな敏捷に逃げ回るメダカを捕って食べられるのか。


 近所にすむ長女は、近くの家の軒下に、しばらくハクビシンが棲みついたことがあり、そこの家人は役所に届けて追っ払ってもらったと言います。そういえば、イタチもいると連れ合いが言います。この辺りは、もう40年もたっていますが、もとは雑木林のある丘陵だったせいか、たまに野生を見聞することがあります。タヌキの親子が斜面の草むらにいたとか、キジが飛び立った、イノシシを目撃したとか。


 それにしても住宅街の庭先のメダカを狙うイタチやハクビシンがいるのだろうか。ひょっとしたら、カラスかもしれないと思う。壺の水を飲みにくるときがあり、見つけるたびに追っ払っています。しかし、カラスといえども、40匹近いメダカを食べるだろうか。壺は深く、潜らなければ、全部のメダカを追えないはずです。


 この春、楊貴妃と呼ばれる緋メダカを7匹飼い増して、これまでの黒メダカの交配を楽しみにしました。幸いなことにメダカの産卵期は終わっていまして、卵から孵化したハリ(メダカの子の呼び名)が30匹ほど、ベランダの別の入れ物に移してありました。そうしないと、親メダカはハリを食べてしまうからです。


 忘れ形見である、ハリたちはもうだいぶ大きくなっています。3匹の緋色メダカもいます。緋色メダカとの交配の結果とみられるような特別なメダカはまだ見受けられませんが、先々、どうなるか楽しみです。


 人間が忍び込んで取っていったとしたら、そのことの方が怖い。一万円も二万円もする希少価値が高いメダカでありません。夜店のメダカすくいに毛が生えた程度のものを、住居侵入の罪をおかしてまで捕るとは思えない。それにしても、メダカ蒸発事件にいるはずの犯人は何者だろうか。真夏の小さな怪談です。      


 このメダカ事件で、ずっとずっと昔、流行った歌を思い出しました。ピーター・ポール&マリー(PPM)の『花はどこへ行った』です。加藤登紀子ら日本人歌手もたくさんカバーしました。ベトナム戦争を嫌ったアメリカ発の有名なフォークソングです。


 花はどこへ行った、青年はどこへいった 夫はどこへ行った 兵隊はどこへ行った 墓場に行った。墓場を覆うたくさんの花を少女たちが摘む、ああ,一体、いつになったらわかるんだろう? いつになったらわかるんだろう、、、、、と繰り返す、せつない反戦歌です。


 まったく、いまも いつになったらわかるんだろう、と嘆きたくなる世界です。この国でいま必要とされるのは、反戦歌ですね。なんとか坂やら、かんとか48やらのみなさんも、戦争が始まったら、あっという間に職を失います。時局にふさわしくない歌舞音曲は禁止という御達しが政府からだされるからです。戦前、戦時下は、そうでした。


 いま望まれるのは、胸にしみじみしみる、戦争はもうこりごりという反戦歌を、ミュージュシアンが作ってくれることです。山下達郎と竹内まりやにはご遠慮願って、どなたかが、みんなが歌える反戦歌を作ってほしものです。戦争に巻き込まれると、メダカを飼ってる平穏な日々なんか、たちまち消えてしまいます。


『花はどこへいった』 YOUTUBEにありました。お聞きになってください。


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