退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

ショウワやわね

 スポーツ・ジムでインストラクターの「お姉さん」と立ち話をしました。


 女性のトシは、よくわかりませんが、80代後半の連れ合いを日々眺めて暮らしてます。こちらの老いた目でみると、40代50代も20代30代も、みんなすごく若く見えます。別のあるとき「学生さんのバイトですか」と尋ねて、40代の主婦だったこともあります。もともと見る目がないのかもしれない。


 さて、その「お姉さん」は、小学低学年の子どもが二人いると言い、なかなか言うことをきかないので、「毎日、ガーガー怒りまくってて、ほんとワタシ、ショウワやわね」と笑っています。


 「シ・ョ・ウ・ワ・やわね」。最初、何を言っているのか、わからなかったので、苦笑いでごまかした。後に続くお姉さんの言葉で、意味が分かった。「三者懇談会で、先生からもう少しお子さんの話を聞いてあげて、いわれてまして、、」と笑っています。ガーガー、子どもに当たり散らすのは、昭和時代の母親みたいね、とたとえているのです。


 二人の子持ちの母親といっても、ぼくの人生の半分以下に満たないトシにちがいない。それくらいの「お姉さん」から、古臭い、頑固な、無理解な、暴君的なニュアンスで「昭和やわね」という言葉が話されているのにはちょっと、驚いた。そういう言い方が友達の間では普通にしゃべられているのかな。


 人生のほぼ3分の2を昭和時代で過ごした我が身にとって、「昭和」が遠い化石時代のような響きを持って語られているのは、感慨深い。TVのBSなんか、昭和のころの流行歌が「懐メロ」番組として流されています。ちょっとした路地裏で鉢植えが並んだごみごみした雰囲気や、住みにくそうな古民家を見て、「昭和のレトロ」なんて言ってる出演者がいます。


 そうですね。昭和といえば、いまの季節なら、すだれ、風鈴、カチ割り氷、下駄、たらい、行水、ステテコ、アイスキャンディ、マクワウリ(メロンではない)、スイカ、トリスのハイボール、扇風機、黒電話を思い出します。


 下の写真は、昭和とはいえ、高度経済成長まえのころか。赤い丸型ポスト、赤電話、右書きの「タバコ」看板、アテナインキ、三輪自動車、、、、

 (google画像検索から引用)


 ぼくの個人的昭和体験。「昭和」が終わる一年前から当時の天皇の体調が思わしくなく、下血しているという極秘の情報が流れてから、えらい目にあった。いや、歴史的な貴重な経験をしたというべきか。


 当時の仕事の関係で、いつ、不意に亡くなられても、こちらの仕事が万全の準備態勢で対応できるように三日に一度の24時間の宿直勤務で備えたものです。ムチャクチャな勤務です。休日でも外出禁止、深酒禁止、「あやうい」という電話一本で夜半に、早朝に何度もタクシーを飛ばして出社したことか。


 昭和63年(1989年)1月7日晴、始発電車で出社。「昭和」が終わる時間が刻々と迫り、職場はかつてない緊張感に包まれました。走り回る同僚、叫び声の応酬、ひっきりなしに鳴る電話、喧噪と静寂と交錯するなかで、張り詰めていた大仕事が滞りなく終わったとき、後にも先にもめったにない達成感と、誤解されると困りますが、仕事上での安堵感に浸ったものです。「終わった」の一言、やっと気持ちがほぐれました。


 「平成という年号はいつから使えるのですか」 
  よその部署の幹部が尋ねてきました。
 「明日からや。昭和は今日限り、明日から平成元年1月8日や」
 こんな会話を交わす機会は、そうあるものでない。国境線や行政区画を大地に書きこむように時間の流れに年号というラインを引くという、この国に残る独特の祭祀的セレモニーに伴う職業経験をしたものです。


 年号(元号とほぼ同じ意)を使っている国は、いまや世界で日本だけです。「西暦に統一し、昭和限りで止めよう」という声が高まった時、天皇制維持に熱心な右翼団体の動きに押されて自民党などが、たった2行の「元号法」(昭和54年=1979年)を作って存続させました。合計31文字の短い法律で、使い方について強制性はありません。


 第1項:元号は、政令で定める。
 第2項:元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。


 昭和の時代は、西暦でいえば、1926年12月25日~1989年1月7日です。敗戦した1945年をはさんで異質の国のように社会制度が分断された昭和です、今の若い人々が「昭和やわ」という感覚は、国破れて山河ありの敗戦以降、アメリカ主導による日本の戦災復興から経済成長への過程での、あれこれを指しているのでしょう。


 年号がないとすれば、先のお姉さんのような表現を、どういうのかな。「ワタシ、1980年代やね」とか、「高度経済成長期みたいやね」とか。年号で区分された世代感覚にならされているので、言い換えをしてみると、ピンとこない感じですね。慣れというのは、見えない鎖だな。


 時代を象徴する暮らしを取り巻く小道具、大道具は、科学技術の進歩で変わります。政治経済、社会の価値観も仕組みも変わります。サザエさんが,トシの離れた弟、カツオを叱るようなしつけの仕方は、いまは不適切か、好ましくないとされるのも、そうかもしれないが、いつの時代にもある光景だろう。


 松尾芭蕉が唱えたという「不易流行」(ふえきりゅうこう)。世の中は「不易」変わらぬもの、「流行」変わるもの、とがあるという意味。簡単にいうと、すっぴんは不易,メイクは流行です。


 清少納言の『枕草子』は,今の週刊誌の人物批評や世相横にらみエッセイみたいだし、紫式部の『源氏物語』は、今もしょっちゅう炎上する不倫バラエティー物語です。時代を経ても変わらぬ人間性が読み継がれれています。


 子どものしつけ方にも時代の変化があるでしょうが、ガーガーいう親も、子どもに寄り添う親も、いつの時代にいるはずです。人間性というのは、不易であって、子を思う親の心情が、古今東西、似たようなものです。ガーガー叱る”昭和の母親”も、あっていいと思いますが、、、やりにくいんだろうなあ、今は。


 過ぎ去った「昭和」ですが、なにか後世に残り続けるものがあるかな。


 草田男の名句にならって、一句。


 打ち水や 昭和は遠く なりにけり    退屈老

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