退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

孫息子

今春、大学に進んだ孫息子は、ようやくやってきました。


 遅ればせに大学合格と19才の誕生日祝いを、回らない寿司屋で楽しく開きました。小さい時からエビ好きでしたが、いまも変わらず、エビを美味しそうに食べていました。賢く、ハンサムで、どこか控えめ、気持ちの優しい好青年に育っています。


 老夫婦には長女と次女の二人の娘がいましたが、孫息子の母にあたる次女は若くしてがんで亡くなりました。孫息子の14才のときのことで、それ以来、父子二人だけの家庭になった孫息子の安否と成長を見守るのが、大切な努めでした。


 季節の衣類や保存のきく食糧や、欲しい物を尋ねては送るなど応援してきました。次女から頼まれた長女も、保護者代わりに学校参観はじめ、さまざまのことに、よくサポートしてくれました。


 国立の中高一貫の学校でしたから高校進学の心配はありませんでした。いまは一般の中学でも採用されている「がん教育」が、その学校では先行的に行なわれて、大いに助かりました。母親の病気が悪性の膵臓癌で治癒の見込みがないことを、どの時点で、どうやって中2の子に説明したら、いいのか、病床の次女も婿もぼくたちも悩み果てていました。「がん」授業を学んだ孫息子は、母親の難病を理解してくれたようでした。


 孫息子は、ピアノもやりますが、とくに囲碁が強く、近畿大会で準優勝、高3の夏休みには受験勉強そっちのけで、上京して全国高校Eスポーツ選手権大会で準優勝、テレビでの中継に老夫婦は大いに楽しませてくれました。一方では、あんなことに夢中で受験、大丈夫なんかな、一浪は覚悟か、とずいぶん心配しました。


 母親を亡くし、不憫でたまらなかった孫ですが、素直に育ち,いまは孫自慢がつきません。連れ合いは、この孫息子と長女のところの孫娘、この二人の結婚を見届けるまで生きるこをと目標にしているみたい。


   



 ぼくは、二人の孫の産湯のときから毎年一冊、ミニアルバムを作成してきました。一冊12枚の写真が納められています。同じものを3冊つくり、お正月には、お年玉とともにそれぞれ贈っていました。アルバム作りは、孫娘の場合は成人式の着物姿で終わりました。


 孫息子は、高校生になると写真を敬遠しがちになりましたので、今春の高校卒業、大学合格を締めにして、永年のアルバム作りをやめることにしました。いい贈り物を積み重ねてきたと思います。


 誕生日、入園入学、初三輪車、初自転車、遠足、発表会、運動会、クラブ活動、食事会、子ども一般の成長期の節目ごとの記録は、200枚以上の写真集となりました。アルバムは、メモリーのなかのデジタルでは味わえない良さがあります。彼らが家庭を持ったときに、広げて懐かしいひとときを過ごしてくれたら、本望です。


 寿司屋から帰り、我が家でケーキカット。いい笑顔の好青年を、将来、間違った国策のために徴兵されるなんて、真っ平ごめんですね。アソウは台湾で「戦う覚悟が必要」とトンデモナイことを放談します。このセメント屋は、有事(戦争状態のこと)となると、儲かるからでしょう。自らは安全地帯にいて、若者を戦争に駆り立てたくて仕方がないようです。自公維という政党は、日本の子どもたちの将来の幸せを奪う連中ですね。




 来年の孫息子の誕生日までは、しっかり生きて、爺さんお気に入りのサッポロビールを孫息子と、よく頑張ってくれた婿殿とともに、飲み交わしたいものです。

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