退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

妄執老人


  前立腺肥大症の治療途中から追加処方された薬が、ザルティア。この薬からの年寄りの連想譚です。


 この薬の成分は、実はED(勃起不全)改善薬で知られるシアリスと同じです。バイアグラと並ぶ、その方面の有名な薬です。しかし、前立腺肥大症にも効能があることがわかり、名前を変えて出ています。


 なんで成分同一で異名なのか。使用目的が異なるうえ、シアリスは自由診療で保険適用外、ザルティアは保険適用できる違いといいます。毎回、処方されるたびにメーカーから取り扱い注意を促す小冊子がついてくる珍しい薬です。


 さて、後期高齢者にとって、この薬を飲み始めたら、正直、びっくり。薬効あらたかなんです。朝、トイレに行くまでは、男性機能がよみがえっているのです。むろん「小用までの命」ですが、なにやら特別元気を取り戻したみたいで、悪い気がしません。この感情は、男特有のもので、女性には異界の話でしょう。


 もちろん常時、その状態でないのは言う間でもありませんが、夜間、ベッドでなにやら妄想をたくましくすると、フィジカルに反応が現れます。アメリカ映画なんかでは、老人同士が「青い薬、飲んだか」なんて言ってバイアグラを使っている会話があります。こちらの国ではまだ、そこまで開けていませんが。


 とはいえ、三年以上も毎日服んでいますと、それこそ薬剤耐性になるのか、当方の自力の無さなのか、劇的な効果は現れなくなりました。そのことに一抹の寂しさを感じますけれど、著効を得ても有意義な?活用の道があるわけがないので、いわば宝の持ち腐れみたいなものです。


 後期高齢者をして、このように欣喜させる薬とあれば、若年者にとって、どんなに効果があることか、たしかによくわかります。こんな重宝な薬を江戸時代の俳人、小林一茶が服用していたら、いかなるシュールな事態が起こるか。妄想が広がります。


「我と来て遊べ親のない雀」など庶民の人情味あふれる俳句を多く残した一茶のもう一つの顔は、希代の精力家です。一茶は三度結婚していますが、残された日記には、夫婦の営みを克明に記しています。


「夜雷雨   夜三交」
「墓詣    夜三交」
「通夜大雷   四交」


 といった具合で、六十代でこれです。朝一交、夜三交との記述もあって、フィクションでもありますが、その俳風と、リアルな生々しい実生活との二面性に驚かされます。江戸期の信洲で、いまの感覚でいえば、粗衣粗飯の暮らしで、よくまあ、頑張ったものです。享年65


 近代日本文学で”三大老人変態文学”といえば、、、こういうジャンルは勝手に名付けているのですが、、、谷崎潤一郎の『鍵』と『瘋癲老人日記』、それに川端康成の『眠れる美女』だと思います。


 むろん、文学作品としては評価が高い傑作なんですが、三作に共通しているのは不能の男性老人が、性の魔境に耽溺する話。題材はカストリ雑誌や俗悪本と呼ばれる部類に見られる性の痴態ではありますが、そこは文豪たち、絢爛豪華な文体で見事に芸術にまで昇華しています。


 『鍵』は大学教授が妻に大学生の男を近づけ、不倫を覗き見する愉悦を、妻が盗み読みしていることを承知で日記に書く設定。また、息子の嫁の脚の美にとりつかれた脚フェチに溺れる倒錯老人の『瘋癲老人日記』、秘密クラブで眠らされた裸体の若い女性に一夜添い寝して、あれこれ妄想する有閑老人が主人公の『眠れる美女』。


 谷崎や川端の作品はいずれも晩年のもので、作品はあくまで虚構とはいえ、自らの内なる老いの変貌をモチベーションにしたと考えられます。マゾやサド、ゲイやレズ、あるいはフェチ等が性的倒錯扱いされて、淫靡な暗闇に押し込まれ、あまりおおっぴらに語られない時代背景のもとでの作品です。また、彼らの時代にはED改善薬はなかった。インタネットもなかった。


 いまでは性的嗜好は人さまざまであって、それ自体は世間の認識が大いに変化しています。もし、谷崎や川端の時代にED薬剤が手に入り、なおかつインターネットで洋の東西を問わず、考えられる限りの男女の性の嬌態をあっけらかんと動画で見られていたら、あのような”老人変態文学”が生まれていただろうか。


 なぜなら、このジャンルの優れた文学作品を、その後、お目にかかったことがないからです。もはやデカダンスな耽美文学というのは生まれにくい時代になったのかもしれません。生と性にまつわる老人文学は、どこへ向かうのかな。

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