退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

”有犬”夫人

 夕方、近くの遊歩道へ散歩に出かけると、出会うのは、犬を連れた女性たち。たいがいは子育てを卒業したと思える年配層の人たちが多い。近くに遠くに、いろいろな小型の洋犬と歩いています。犬の排泄の時間がだいたい集中しているからしい。


 こんなに犬好きが多かったのかと驚きます。シーズーやプードル、チワワといった可愛らしい洋犬は、10-30万円くらいするし、予防注射や餌代、飼い主にとって重要な手入れ代など、少なからぬ維持費?がかかります。犬を飼うのは、それだけ癒しに使える余裕があるってことか。


 飼い主たちは、行きかう顔見知りと必ず犬の話で持ち切り、しゃがみこんであやしたりしている。ときには4,5頭の飼い主が集まり、輪になってしゃべったり。平和で穏やかな光景ではあります。


「むかし有閑夫人、いま有犬夫人」といった感想が浮かびます。昭和半ばのころ、「きょうは帝劇、明日は三越」というキャッチフレーズが流行りました。カネとヒマを持てました山手や芦屋夫人が、ショッピングや娯楽に興じるセレブな暮らしをしたという。まあ、谷崎潤一郎の「細雪」の4姉妹のような世界だったのだろう。


 高校生のころ読んだ本にイギリス人は、余生は犬を連れて散歩に行くような暮らしを終生の願いにしているとあって、そのころは人生の目的って、そんなものかと思っていたが、いまなら、わからないではない。


 イギリス人の好みはシェパードやレトリバーのような大型犬で、その犬を飼うためには大きな家に住み、広い庭があること、つまり老後は資産を蓄え、安定した生活の余裕を確保することにつながっていたのです。そこが高校生には読めていなかった。


 日本の愛犬家たちは、珍しい高い洋犬を競って飼う。これは男たちなら高級車、外車をグレードアップしたがるようなステータス誇示の気分でもあるのだろうか。


 今の住まいは、およそ40年まえに住宅都市整備公団(いまのUR都市機構)が丘陵を開発して大規模住宅地を売り出したもので、中層のマンションと戸建てがブロックごとに区分けされている。バスが通る表道路のほかは、遊歩道でつながっている。


 バス通りの街路樹も素晴らしいが、この遊歩道は両側に桜、楠、欅、楢などが植栽されていて、40年もたつと、こんもり繁った見事な並木道になっています。夏はセミがうるさく、秋はドングリが散らばり、四季を通じて散歩するのにふさわしい。


 この遊歩道は成熟したが、住民は人生の旬をすぎた。年配の女性たちは、室内で飼える小さい洋犬を子どものように、孫のように可愛がっています。むかしは、縁側でネコを膝に乗せていたのに違いないが、、、。


 令和初頭のコロナ禍のさなか、有犬夫人たちに”中流”気分の暮らしの断片を見てる感じ。名前さえ分からない洋犬がいっぱいいる暮らし、高校生のころは予想もしなかったなあ。

×

非ログインユーザーとして返信する