退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

同情するならカネをくれ

 知人の息子さん宅に、あのアベノマスクが二枚届いた。息子さんは家族五人暮らしなので、小さなカビくさいマスクを前に、「どうしろと言うのか」と怒っているそうな。それを聞いた知人は国に「オチョクられているな」と嘆いている。


「オチョクられる」というのは、「バカにされる」とか、「冷やかされる」とかと言う意味で、大阪のおっさんや、おばさんはよく使う。メンツなり、プライドなりを傷つけられたときに出る言葉。


「マスクを二枚ほど全世帯の配れば、コロナへの不安はパッと消えますよ」という灘高➔東大法学部卒の「官邸官僚」に進言されたアベの施策と伝えられています。世間知らずの偏差値エリートのバカ知恵を絵にかいたような逸話です。


 いまや全世帯に戸別訪問のように届きだして、もらった者が怒り、オチョクられたと感ずる者が続発しているのではないか。アキエ夫人でもアキレ夫人になるに違いない。アベノマスクという愚策による怒りとタメ息の連鎖がどんどん広がるコロナニッポンの現状です。


 平成のはじめごろ、TV番組に『家なき子』というドラマがありました。困窮家庭の少女がお腹を空かせて食べ物を拾う。それを見た通りすがりの者が「可哀そうに」と同情するや、少女は言い放つ。「同情するならカネをくれ」。


 このセリフ、どうですか。貧しいのは少女の責任ではなくて、世の中の仕組みがいびつだからです。その点では、少女の言葉には、心を打つ理があるのです。世相にマッチしたのか、流行語になったから、覚えている方も多いでしょう。


 コロナ禍の今、「休業要請するなら、カネをくれ」、「自粛要請するなら、カネをくれ」、「感染拡大を心配するなら検査させろ」、「休校するなら、授業料とるな」、、、、なにでも応用がききます。


 この国では、私人の権利や自由を制限するなら、それ相当の補償をせよ、というのが基本、憲法にもちゃんと書いてあります。29条第3項は「私有財産は正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」。感染拡大を防ぐ社会防衛のためでも、私人の財産権を制限するなら、補償が必要なわけです。


 コロナなんて感染症のバンデミックまでは想定外だと、国は逃げてはいかんのです。要請するなら損失補償しなくてはならないのです。


 現代の国家は国民の生命、財産を守るのが、第一義の存在理由で、そのための運営維持費が納税という仕組みで担保されています。国は四方八方に目配りして、国民の命と暮らしを守り、向上させるために不断の努力することを国民から委任されているわけです。


 例えば、ありもしない外敵からの侵略に備えてかどうか、一機100億円以上もするアメリカ製F35戦闘機を100機、総額二兆円近い”爆買い”をする必要性が時宜を得ているのか。あまり感染症が目立たないから、と国立感染症研究所のわずかばかりの予算と人員を毎年削っていたことが、いま役立っているのか。なんで医療用マスクや防護服まで輸入に頼っていたのか。


 政治は結果責任です、とアベはいっぱしのことを「棒読み」しますが、国民の安全安心な暮らしにろくに備えをしていなかった。政治の課題を間違えていた。コロナ禍が長引くと、いまにコロナ自殺、コロナ心中、コロナ暴徒が現れようになるかもしれません。


 我が家の小さな庭に咲きだしたシランの花を眺めつつ閑居する、ゴールデンウイークでの感懐です。

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