退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

ZOOMリモート会

 毎月、公民館でパソコンの勉強会を有志でやっています。ところがコロナ禍の影響で公民館は休業とあって、勉強会もずっとお休みでした。


 メンバーの一人が、いま人気のZOOMを用いて、久しぶりに顔合わせてしゃべろうーーーと言いだし、各自がZOOMをダウンロード、集まる時間を連絡しあって、このほど、初集会。


 女性一人を含めて60-80代の7人が参加しました。パソコン画面に7等分した小窓が現れて、お互いが対面できて、話し合えます。発言者の顔だけクローズアップすることも、メモをとることもでき、必要なら録画もできます。簡単な操作で、盛沢山な使い方ができる、こんな便利なツールが無料で使えます。


(40分の時間制限までは無料。現在はコロナ禍でステイホームに協力しているとのことで時間制限はなし。ふだんでも40分後でいったん閉じて再開すれば無料とのこと)


 あちこちからの参加者が、一つの画面に集合し、好きなアルコールを飲みながら、近況報告、パソコンの独習ぶりなんかしゃべり合って、楽しくも、不思議な時間でした。一瞬にしてサイバー井戸端、あるいは居酒屋が居ながらにしてできるのですから。


 いつも感心するのは、電子技術関係の企業のおおらかさ、巧みな商法。おそらくシリコンバレー発祥のやり方なんだろうが、開発にゼニとテマヒマを掛けたと思われる商品を無料で提供すること。


 そのうえで使い勝手や瑕疵、不備の修正、改善などの知恵をユーザーや他の技術者たちから気安く受け入れ、改良したものを新たなヴァージョンとして世に送り出す仕組みが当たり前のようになっています。


 ある意味、ユーザーは企業の”臨床試験”に付き合わされているようなものだが、しっかりユーザーも得をしているので、こうした無料ツールは助かります。


 離れた所に住む孫息子が幼いころ、パソコン同士をSKYPEで結び、顔を見ながら遊んだこともありました。今回試したZOOMは、そのときよりも操作は簡略、性能は向上している感じでした。


 むかし、マーシャル・マクルーハンという学者が、メディアは人間の手足、五官を拡張させたもの、例えば、クルマは足、ラジオは耳、テレビは目と耳の拡張した形といったようなメディア論を唱えて、斬新でしたが、いまの電子技術は、AI化とともに、どこまで深化していくのか。そのうち人の内面にまで直感の拡張の網が延びてきて、相手の顔を見るだけで、今考えていることがすべて把握されるようなツールが完成するかもしれない。


 それで人は幸せになるか、どうか。社会の発展や文明の進歩というのは、本来、そこが出発点でなければならないが、その点は曖昧模糊のまま世は移り変ってゆく。


 恥知らずの検事長が辞めて目出度い昼下がりの妄想です。

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