自粛のあとさき
コロナ禍でおよそ2か月、在宅を強いられた皆さんの声。テレビや新聞報道から拾う。
「ストレスがたまって、息苦しかった」
「いつまで続くか、先がみえないので、不安だった」
「こんなに長く休んだのは、初めてで、どうすればいいか、わからなかった」
「もうもたない、店を閉めることにした」
生業をもつ人、学業に励む人、性別年齢を問わず、つらく、しんどい思いをぶつける人が多い。歎き、悲しみ、恐怖に苛まれる人もいました。突然、降ってわいた災厄でルーティンの日常生活が止まってしまったのですから、そのお気持ちはよくわかります。
とはいえ、80代が突然やってきたわけでない後期高齢者としては、実は「自粛生活」というのは、ごくごく普段の暮らしと変わりはないのです。冒頭のような比較的若い人たちのような感想は、自らはわいてこないのです。
つまり、平凡な暮らしをする後期高齢者ともなると、もう対人関係は希薄なもので、対面して友人知人と話し合う機会はめったにないのです。外出自粛どころか、もう外出しなければならない用事たるものは、ほとんどないのです。行動圏は狭く小さくなるばかり。
退職当座は三日間も電話が一本もないと、世間から外されてしまって、島流しにあったみたいな疎外感がありましたが、そのうち一週間、一か月間、ろくに電話がなくても、それを不自然とは思わぬ境地になっていくのです。
たまにかかってくると「骨董品買います」(ガチャン)
「傷害保険のご説明を」(ガチャン)
「市の公園墓地について、あのー」(がチャン)
間髪を入れず、電話を切るようになる暮らし。ですから、個人的には「外出自粛」があろうが、なかろうが、ほとんど日常は変わらなかった。若い人たちには、お分かりにならないかもしれませんが、トシを取るということは、同じ社会に暮らしていても、こんな異次元に身を置くということです。
もう、どうあがいたところで、トシが若返ることがないわけですから、いまの境地にどっぷり浸り、日常をやり過ごすしかありません。若い人たちも、いずれはやってくる道です。
ネットが伝える週刊詩報道によると、あのシンゾウさんのアキレ夫人は「家でじっとしちると息詰まる。お店がつぶれるじゃないの」と「休業解禁」そうそう自ら経営する「居酒屋」を再開したという。
お店どころか、早く内閣がつぶれてほしいな。第二波、第三波まえに。
今夏はアツイ夏になるらしい。老体、乗り切れるかな。こっちも気がかりです。