退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

老害だあ

 買い物に出る前、野球帽をかぶり、視力が弱いので、濃いサングラスをつけて、マスクをしたら、このまま"銀行強盗"の扮装になりそうになりました。ロバート・レッドフォードの最後の出演映画みたいなら、カッコいいけれど、ぼくでは絵にならない。


 レジのオバサンが、ぼくの顔をみるなり、腰が引けて、こころなしか、睨んでいるように見えた。そこで、マスクを忘れたことに気がつきました。出るまえ、あんまり不審な格好になるなあと、うっかりマスクを外していたのだ。


 広いスーパーの駐車場に出ると、マイカーをどこに置いたかわからない、一応、落ち着いて外側から一列ごとに歩いて調べて行く。ガードマンに出あったので、ぼくのクルマはどこか探していると尋ねる。さすがに自分でも愚問だと気が付いていますが、ほかに言いようがない。


 ガードマンに車種やナンバーやカラーや、どの入口から店内に入ったかなど、矢継ぎ早に訊かれて、一緒に探してくれる。暑い日照りのなか、ご苦労な話です。こりゃ老害だなあ、迷惑をかけているなあ。つくづく反省する。レジ係さん、ガードマンさん、ご迷惑かけました。


 そういう思いの一方で、こうした出来事をちゃんちゃんと覚えているところを見ると、まだ本格的な?アルツハイマー症候群なり、痴呆症なりになっていないな、と独り合点する。


 若いころ、勤め先の上司がわけのわからん指導や講釈を繰り返すを聴いて、ヤツは老害やなあ、年功序列の弊害極まれりやなあと、飲み屋で同僚と悪口いったものですが、振り返ってみると、そんな上司たちも、せいぜい40代後半から50代だった。80代の今から見れば、鼻たれ小僧にすぎない。ほとんどの鼻たれ小僧たちは、すでに鬼籍に入っている。


 老害の認定というのは、置かれた状況によって異なる。年長者で経験や知識をそれなりに積んできたと自負している人が、本当はもう時代の流れにマッチしなくなっているのに、悲しいことに、その自覚がないまま、有能なベテランであるかのような言動をとるときに生じる評価だな。


 レジ係さんやガードマンさんにご迷惑をかけてはいけないが、その迷惑度は限定的です。ぼくより少し若いが、国語が読めない首相や副首相、老醜をさらす五輪委会長や、アメリカの大統領のように権力を握り、その影響力が著しい年長者の老害は、国家、国民をミスリードして罪深い。


 長生きすると、つまらないことも否応なく目の当たりにします。

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