退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

「高齢者は死ね」か

「高齢者を長生きさせるか、我々真剣に考える必要があると思いますよ」と大真面目に話した自称、政治家が現れて、驚きました。


 れいわ新選組の党幹部といわれる大西つねき(56)=前回参院選比例代表候補、落選=で、本人がYOUTUBEで発信する「#私が総理大臣ならこうする」(7月3日配信)のなかで述べたという。


 ネットに残されたスピーチによると、結論は「こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど」、「何でかっていうと、その選択が政治なんですよ」


 その理由を「介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます」と述べた。


 れいわの山本太郎代表は、先の同じ選挙で「生産性の有無にかかわらず」人権を尊重するとして重度障碍者二人を国会に送り込んだ一方、今どき、信じられないような命の選別を公言する人物を党として重用していたことになり、批判が殺到。結局、大西を除籍しました。大西は、いまのところ、発言の撤回も反省もしていないとのこと。


 ぼくは、その「長生きさせるのか」の該当者の一人でありますが、生産性はないし、公費をムダに費消させるばかりだから、「早めに死なせた方が政治だ」と指摘されると、慄然とします。猛烈に腹立だしく思います。「長生きさせない」政治的な手段というのは、合法的を装い、「殺す」しかないのです。


 『男はつらいよ』の寅さんなら、「それを言っちゃ、おしまいよ」と背を向けて怒るだろう。ぼくだって、こんなヤツは、石川五右衛門じゃないけど釜茹での刑(笑)にしてやりたいくらいだ。


 政治政策的に「殺す」というのは、ナチスドイツのヒトラーがやった「強制的安楽死政策」に通じる考えです。ヒトラーは「民族浄化」という優生学を信じて、ユダヤ人を劣等民族視して約600万人を虐殺しましたが、そのほかにも、「社会的に不適格」な身心障碍者、重病者、そして高齢者たちを殺害しまくりました。


 大西の論拠では「介護や医療費に無駄カネが使われるし、そのことは、若い世代に負担を与える」と解釈できるような名目をあげています。一見、合理的な理由のような印象を与えるところが、この命の選別思想の恐ろしいところ。


 「国家のため」、「経済振興のため」、「社会の秩序を守るため」、戦前では「天皇のため」が不可侵の大義でした。いくらでも大義名分は広げることが可能で、不安や閉塞感にむしばまれた人たち、不当に扱われていると思い込んでいる人たちを巧みに扇動すると、熱狂的に支持されるおそれがあります。歴史は繰り返します。


  先の選挙で日本維新の会の千葉一区候補になった長谷川豊(44)は、被差別部落への差別発言や「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」とブログで発言していたことが広く伝わり、立候補を辞退せざるをえませんでした。


 今のコロナ禍では、イタリアで大量感染者が出たとき、ベッド数や呼吸器の不足などで治療の優先度(トリアージ)を高齢者よりも若い世代に振りむけざるを得なかった医師の苦悩が伝えられました。ここには切羽詰まった究極の命の選別がありました。


 良心の苦しみなく、気楽に選別を言い放つ大西といい、長谷川といい、とんでもない人物が共通して政治家を志す、というのが恐ろしい。歴史の教訓を学ばず、現代の基本的人権思想もどこ吹く風の輩がなぜ輩出するのか。この国の現況にゆがんだ素地が横たわっているとしか思えない。二人とも、すでに中高年者でないか、おそろしく我が身の行く末に想像力が欠けたバカたちです。


 人は、みんな等しく老人になる。生涯最後の段階で、尊厳をどのようにして守るか、老人は、みんな苦しんだり、想いを巡らせています。これは人類に普遍的な問題です。以下のような箴言をかみしめてもらいたい。仏教から出た言葉だそうです。


 子供叱るな、来た道だ、


年寄り笑うな、行く道だ、


来た道、行く道、二人旅、


これから通る今日の道、


通り直しのできぬ道

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