退屈な80代

還暦、古希、傘寿を過ぎて 日々思うことを綴ります。

安楽死、尊厳死

 また「高齢者死ね」、「社会的に役立たないヤツは死ね」に通じるおぞましい事件がおきました。


 報道によれば、京都のALSの女性患者51才が安楽死を希望、面識がない二人の医師が、その依頼をうけて殺害し、対価をもらったという嘱託殺人事件です。


 これを機に安楽死とか尊厳死が議論されています。今回はちょっと長くなりますので、個人的な考えを先にかいておきます。ぼくは、尊厳死はもちろんのこと、きちんとした法律が作られ、付与された条件が満たされれば、安楽死は認められるべきだと考えます。
 
 医学・科学が進歩した今、寿命を人為的に長くしたり、短くしたりすることは、苦痛なく行えます。長く身内ががんで苦しみ、頻回入院したり、全身チューブで包まれるスパゲッテイ症候群というような現場をみてきましたので、意思がはっきりしているときに、
尊厳死あるいは、安楽死を望むかどうか、決定できるようにするべきです。自身の生命の選択を自己決定するのは、究極の権利だと思います。


 今度の事件は、医師の取った措置は適切ではありません。一方、女性の安楽死願望は非常に強く、二人の医師以外にもヘルパーや主治医に対しても話しており、対価も自由意思で支払っているょうなので、死を同意していた点で大きな争点になりそうです。


 安楽死と尊厳死については、似て非なるものなので、いまどきの大学入試の設問にも出るらしく、大手予備校のネットにも「地歴公民」科のなかで、”模範解答”が掲載されています。それによると、


「いずれも本人の意思による死の迎え方ですが、その目的や過程に違いがあります。」


 「安楽死 回復の見込みがなく、苦痛の激しい末期の傷病者に対して、本人の意思に基づき、薬物を投与するなどして人為的に死を迎えさせること」。


 「尊厳死 回復の見込みがない傷病者に対して、本人のリヴィング・ウィル(生前の意思)に基づき、人工呼吸器や点滴などの生命維持装置を外し、人工的な延命措置を中止して、寿命が尽きたときに自然な死を迎えさせること」。
 とあります。


 この事件で識者がいろんな発言をしていますが、とりわけネットで見る政治家の意見は、尊厳死と安楽死の区別がついていない。大阪市長の松井某や石原慎太郎は、これを尊厳死とみなして発言、石原にいたっては、二人の医師の努力を称賛しています。これでは大学入試は不合格だろう。


 安楽死については過去の事件の判決で、以下の4条件をすべて満たせば、違法ではないと例示されています。それによると
 (1)患者に耐えがたい激しい肉体的苦痛があること
 (2)患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
 (3)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、代替手段がないこと
 (4)患者自身による、安楽死を望む意思表示があること


 今回の嘱託殺人では2に当たらない。1と3の肉体的苦痛というのは医療の進歩で相当除去されること、精神的苦痛に触れていないことから、時代にマッチしない条件です。
これまで4条件が適用されたケースはない。


 スイスやオランダは早くから安楽死を合法化しています。自殺ほう助団体が複数あります。仏映画『母の身終い』では安楽死を望む脳腫瘍のフランス人の母が、中年の息子に頼み、スイスに車で運んでもらい、しかるべき施設で何度も意思確認をされたあと、吐き気止めの薬を飲みます。15分後に処方された薬剤入りジュースを飲んで、息子の面前でやすらかに亡くなる、、、経緯をドキュメンタリーのように映していました。


 邦画『終の信託』では、重度の気管支喘息と糖尿病を長年患う中年男を女性の主治医が呼吸器を外して死なせます。女医は殺人罪で起訴されます。患者との間に末期の際についての本人意思を確認する証拠が得られなかったのですが、その後、中年男の残した日記になかに「女医にすべてを託す」趣旨の文言は発見され、殺人罪は無罪になります。


 作家、瀬戸内寂聴さんは、20年も前に公益財団法人、尊厳死協会の会員になっており、「リヴィング・ウイル」(生前の意思表示)を終末期に医師に見せるよう周囲の者に知らせてあるといいます。書類には、こう記しているそうだ。


一、延命措置は一切しません
二、ただし、病気の苦痛を和らげる処置は最大限にしてほしい
三、数カ月以上の植物状態に陥った時は一切の生命維持装置を取りやめてほしい


 尊厳死協会は、今回の嘱託殺人について「見解」ををホームページで発表し、まったく容認していません。同協会は、まず尊厳死が法的に認められるべきとする立場で、見解になかで、こう述べています。


「意外に思われるかもしれませんが、その真意は「まずは尊厳死ができる国にしよう」と
いう想いです。というのも日本は先進国で 唯一、「リビングウイルの法的担保」が無い国で、終末期議論の最後進国です。また充分な緩和ケアが提供できれば安楽死は要らないのではないか、という趣旨です。 協会の会員の中に は 安楽死の議論を望む声 もあります が、 社会の 意識改革 と制度改革 を待たずに、安易に安楽死を容認すべきではないと考えます。」


 人生の最後をどうするか。どうあってほしいか、ほしくないか。身の始末について人それぞれが考えると同時に尊厳死協会の言うように「法的担保」を一刻も早く法制化すべきではないか。


 しかしながら、そういった人道的観点からではなく、高齢化社会で増える社会保障費や医療費の削減のため、簡単に高齢者を死なせることを底意にした法制化の動きもあります。この問題がなかなか一定の合意につながらないのは、宗教観や死生観、家族制度の呪縛など、さまざまな要素が絡んでいるからでしょう。


 植物状態になった爺さんの延命措置を熱心に嘆願する家族が居て、家族愛の強さに感心していたら、本音は、爺さんの軍人恩給と年金がなくなるのを惜しんでいたという話も聞いたことがあります。死をめぐる理想と現実はドロドロと一筋縄ではいかないようです。




注 安楽死の4条件
 横浜地方裁判所の東海大学安楽死事件(1991年)に対する判決(1995年)において、


 ALS 患者に対する嘱託殺人事件報道に関する日本尊厳死協会の見解


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